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米菓づくりのこと

岩塚製菓が使い続ける「音更大袖振大豆」 産地・音更町と振り返る歩み、その先

岩塚製菓の看板商品のひとつである「大袖振豆もち」。

一風変わったこの商品名は北海道音更町で栽培される「音更大袖振大豆」に由来します。原材料にしている「音更大袖振大豆」は主に北海道・音更町で栽培されている希少な品種。ショ糖を多く含むため甘く、香りも歯ごたえも良いことから岩塚製菓の豆もちには欠かせない原材料として長年使い続けてきました。

町の名前を冠する「音更大袖振大豆」は、音更町にとってどのような作物なのでしょう。岩塚製菓株式会社代表取締役社長の槇大介が音更町を訪ね、音更町長の小野信次氏に話をうかがいました。

左)岩塚製菓 代表取締役社長 槇 大介 (右)音更町長 小野 信次

町の半分の面積が農地。“日本の食料庫”十勝平野に位置する音更町

小野:槇さん、音更町へようこそ。音更町は町の面積は約4万6600ヘクタールのうち、およそ半分にあたる2万3000ヘクタールが農地を占める町です。音更(おとふけ)という名前は少し変わって聞こえるでしょう。実は音更町のある十勝地方には、十勝川をはじめたくさんの川が流れており、「音更」という地名も川の流れる様子に由来するといわれています。上空から見ると、いくつもの川が女性の髪の毛のようになびいて見える。そうした土地の姿を表したアイヌ語「オトプケ」から転訛(てんか)したものです。

:音更町では、どのような農産物が生産されているのですか?

小野:小麦、大豆、小豆、ジャガイモ、甜菜(ビート)が主要な作物です。そのほか、野菜生産も盛んです。野菜では、ブロッコリーやニンジンなどが多いですね。十勝の農業では、複数の作物を順番に栽培する輪作が行われています。大豆は根に根粒菌がつくため、土づくりの面でも重要な作物です。豆類やジャガイモ、小麦などを組み合わせることで、土壌を安定させながら生産を続けているのです。産地には、必要とされる作物を安定して供給する役割があります。大豆は需要も高く、音更町の農業を支える主要な作物の一つです。

十勝平野の小麦畑

暮らしを支えるために栽培されてきた大豆

:音更町では、いつ頃から大豆が作られてきたのでしょう?

小野:音更町は、明治時代の後半、開拓のため本州各地から入植者が訪れていますが、その頃から大豆は主要な作物として栽培されていました。大豆は比較的寒冷な土地でも育てやすく、北海道では早い時期から作られてきました。大豆は入植した人たちの暮らしに必要不可欠な作物でした。味噌や醤油、豆腐を作るほか、大豆をそのまま食べることもありました。まずは自分たちが生活していくために、作っていたのでしょう。その後、農家が家族を養い生活を成り立たせていくためには、作物を販売しはじめます。すると栽培量が増え、生産性の高い品種や、品質の優れた品種が選ばれるようになっていきました。

音更の土地から生まれた「音更大袖振大豆」

:「音更大袖振大豆」は、どのように生まれたのでしょうか。

小野:この品種が誕生したのは昭和25年頃で、もともとは音更町の農家が栽培していた大豆の中に、特徴の異なる株が見つかったことが始まりだと聞いています。農家の方がその豆を食べてみると、見た目が珍しいだけではなく、味にも優れ、冷害にも強い特徴があった。そこで、その株を繰り返し選抜して大切に育てて増やしていったのがはじまりです。

音更大袖振大豆の畑

:確かに「音更大袖振大豆」には、ほかの豆とは異なる独特の味わいと、しっかりとした甘みがありますよね。

小野:ありがとうございます。この味の良さは地域の人や買い求める人にも知られ、「音更大袖振大豆」として定着していきました。地名を冠した名前がついていることからも、この土地で生まれた大切な大豆だという想いが表れています。

:「音更大袖振大豆」が音更町で生まれたことには、どのような意味があるのでしょうか。

小野:十勝は昼夜の寒暖差が大きい地域です。広大な十勝平野の中でも、音更の土地と気候があったからこそ、この大豆が生まれたのだと思います。名前が珍しいだけではありません。「音更大袖振大豆」は実際に食べた人から「美味しい」と評価され、その評判は生産者にも伝わりました。それを見聞きした先人たちが「これこそが音更の大豆だ」と感じたのでしょう。この豆を残してくれました。「音更大袖振大豆」には、土地の個性と、豆を守り育ててきた人の想いが詰まっているのです。

豆腐や味噌にも生きる、豊かな甘みとうまみ

:「音更大袖振大豆」はそのまま蒸して食べても美味しいと感じます。他にどのような食べ方に向いているのでしょうか。

小野:煎って食べてもおいしいですし、豆腐にしても非常に評判が良いと聞いています。豆そのものに、うまみや甘みがあるからでしょう。青豆のときにわずかに甘みを加えて煮るだけで、おいしいずんだにもなります。昆布などと一緒に煮て、日常の料理や保存食として食べることもできますよ。味噌や醤油、納豆にも加工されています。音更大袖振大豆の特性は加工をしても引き出せるのだと思います。豆そのものの味が良いからこそ、さまざまな食べ方ができるのでしょう。

暮らしの中にあった豆もちを、いつでも食べられるお菓子に

:「大袖振豆もち」は全国の皆様に召し上がっていただいていますが、近年は特に西日本で販売数が伸びています。米菓の中では比較的高い価格帯の商品であるため、品質を重視する方に選んでいただいていると認識しています。お客様からは「おいしい」「豆とおかきの硬さがちょうど良い」「塩加減がちょうど良い」といった感想をいただいています。

小野:お正月前に餅をつき、雑煮やあん餅にするほか、豆を入れた餅をおやつにして食べる文化は、北海道に限らず、全国各地にあったと思います。その家庭の味が、手軽に食べられるお菓子になったことは画期的でした。自分で餅をつかなくても、昔食べた豆もちに近い味を口にできる。その中に使われているのが音更町の音更大袖振大豆です。「大袖振豆もち」は、懐かしさだけではなく、音更大袖振大豆のおいしさを多くの人に伝えてくれました。岩塚製菓は、半世紀にわたって私たちの思いを届けてくれた企業だと感じています。

「音更大袖振大豆でなければならない」。生産者の誇りを生んだオファー

:私が岩塚製菓で働き始めるはるか昔のことですが、豆もちを商品化するにあたり、岩塚製菓から音更町のJAに「音更大袖振大豆をぜひ使わせてほしい」というオファーをさせていただいたと聞いています。

小野:私も当時の細かなやり取りは分かりませんが、生産者は大変感激したでしょうね。一生懸命育てた「音更大袖振大豆」を遠く離れたところにあるお菓子メーカーが見つけて「この豆でなければならない」と言ってくれた。これほどうれしいことはありません。生産者の気持ちを大いに励ましてくれたのです。町としては、感謝してもしきれません。

:生産者の顔が見えることはこの商品の大きな特徴です。

小野:岩塚製菓は一度採用しただけではなく、約50年にわたり愛情を注ぎ、全国に届け続けてくれました。この大豆と商品が歩んできた歴史を、私たちも守っていかなければならないと感じています。この出会いの尊さを次の世代に伝え、これから何をすべきかを考えることが、今を生きる私たちの役割です。

高品質な原材料と高い加工技術で製造する「大袖振豆もち」

:「大袖振豆もち」は岩塚製菓が大切にしている「米・技・心」を象徴する商品です。「米」は、お米をはじめとする吟味された原材料を意味します。「音更大袖振大豆」ももちろんそのひとつ。「技」は、原料のおいしさを引き出す加工技術のことです。そして「心」は、作り手が真心を込めて商品を作ることを指します。「大袖振豆もち」には、その全てが詰まっています。ほどよい塩加減と、サクッとしたやわらかな食感は、絶妙な水加減・焼き加減を工夫することで生み出しています。そのため豆だけが口に残るようなことがなく、最後まで心地良く召し上がっていただけるのです。「大袖振豆もち」はまさに「音更大袖振大豆」という原材料の良さと、岩塚製菓の加工技術が組み合わさることで生まれた商品なのです。

小野:以前、岩塚製菓の工場を訪問し、出来たての「大袖振豆もち」をいただきました。本当においしくて、ずっと食べ続けてしまいました。味だけでなく、香りも素晴らしかった。工場で印象的だったのは、働いている皆さんの真剣な眼差しです。一つひとつの工程に手をかけていました。工場には清潔感があり、商品が愛情を込めて作られていることが伝わってきました。岩塚製菓が掲げる「日本のお米100%」という言葉にも、ものづくりへの自信と責任が表れていると思います。その姿勢は「大袖振豆もち」という商品にも反映されていますね。

:今回、私は初めて「音更大袖振大豆」の生産現場を見学しました。生産者の皆さんが情熱を注ぎ、大切に栽培してくださっていることを、改めて認識した次第です。岩塚製菓の製造部門や販売部門も、これほど大切に作られた豆を使っているという自覚を持たなければなりません。想いを受け止め、これまで以上に丁寧に製造し、販売していく必要があると感じています。

「大袖振豆もち」や「音更大袖振大豆」の価値を守り伝えていくために

:美味しい商品を作り、届け続けていくためには、変えなければならないものと変えてはいけないものを、分けて考えることが必要です。時代やお客様のニーズに合わせて変える部分は変えながら、原材料や味、商品に込めた思いなど、守るべきものは守り続けます。「大袖振豆もち」には、前身の商品から数えると約50年の歴史があります。長く続いてきた商品だからこそ、その価値を大切にしながら、次の時代につないでいきたいと思います。

小野:私も音更大袖振大豆を守り「これからも大切に作っていこう」という気持ちを、次の世代につないでいきたいと考えています。音更大袖振大豆は、音更町が自信を持って育てている作物です。生産者は毎日懸命に作物を育てていますが、それゆえに自分たちが作っているものの価値に、かえって気づきにくいことがあります。岩塚製菓との出会いによって、音更大袖振大豆の良さが引き出され、町の人たちも、その価値を共有できるようになりました。今回、槇社長が生産現場を訪ねてくださったことは生産者にとって大きな自信と誇りになったと思います。その様子を見た次の世代にも「自分たちの町には、これほど価値のあるものがある」と伝わるでしょう。

生産者とメーカーが、ともに次の50年へ

:今回、実際に音更町を訪れたからこそ分かったことが、たくさんありました。雄大な畑の景色や、生産者の皆さんの姿、音更大袖振大豆が育つ土地の空気は、現地へ行かなければ感じられません。生産者の皆さんと、加工メーカーである岩塚製菓が、これまで以上に密にコミュニケーションを取ることが大切です。

小野:これからも、さまざまなアイデアを出し合い、新しい取り組みができればと思います。音更町から岩塚製菓の工場を訪れたように、今度は生産者にも工場を見てもらいたいですね。そして、岩塚製菓の皆さんにも音更町の畑を訪れてもらいたい。お互いの現場を知り、感謝を伝え合うことが、次の歴史につながると思います。約50年続いてきた関係は、決して当たり前のものではありません。これからも互いに素晴らしいパートナーだと言える関係を築き、次の世代へつないでいきたいです。

:音更町の景色や生産者の思いを、商品やパッケージの中にどのように凝縮して表現するのか。ともに考えることで、「大袖振豆もち」に新しい価値を加えられると思います。その価値を全国のお客様に届け、より多くの方に手に取っていただき、おいしく召し上がっていただけたらうれしいですね。

小野:これからも互いの現場へ足を運び、努力や思いを知り、支え合いながら、この大切な商品を次の50年へつないでいきたいですね。