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#13 岩塚製菓の歴史と創業の精神

岩塚製菓は「地域のために貢献したい」という思いから誕生した企業です。岩塚製菓の歴史と今に受け継がれている創業の精神について紹介します。

出稼ぎに行かず、家族が揃って冬を越せるように

岩塚製菓の所在地である新潟県長岡市にはかつて、岩塚村と呼ばれる小さな村がありました。全国有数の豪雪地帯であった岩塚村は貧しく、とくに戦後まもないころは収穫のシーズンが終わると一家の大黒柱たちが出稼ぎに行かなくては生計が成り立ちませんでした。当時家族が揃って冬を越せる家庭はほとんどなかったと言われています。

平石金次郎
槇計作

岩塚製菓の創業者である平石金次郎と槇計作も出稼ぎへ行く労働者でした。友人同士であった2人は「出稼ぎへ行かなくても皆が暮らしていける地域にしたい」という夢を持ちます。

創業時は地元の甘藷を使ったカラメル作り

1947年(昭和22年)に2人は岩塚農産加工場という会社を興します。これが今の岩塚製菓の前身です。岩塚農産加工場では地元で穫れる甘藷(さつまいも)を原料にカラメル作りを始めました。「貧しい故郷を豊かにしたい」。2人は寝る間を惜しんで仕事に精を出し、美味しいカラメル作りを追求しました。その結果、岩塚農産加工場のカラメルは高く評価され、品評会で日本一に輝きます。品質にこだわる精神はこのころから培われ、今の岩塚製菓を築く礎となっていきます。

しかし大手メーカーがカラメル作りに進出してきたことから、岩塚農産加工場は経営の危機に陥りました。「このままでは廃業したら再び出稼ぎ生活に戻ることになる」と考えた創業者は、地元で穫れる米を使った菓子づくりをすることを決意。再びゼロからのスタートを切ることにします。

品質へのこだわりは米菓にも

岩塚農産加工場は3年間は下請け企業として米菓を作り続け、技術力が十分に備わったころを見計らってオリジナルの製品作りに着手しました。1960年(昭和35年)には岩塚製菓株式会社へと社名を変更します。

社名が変わっても、品質へのこだわりは変わらず。岩塚製菓ではカラメル作りの経験から生まれた信念を受け継ぎ、現在でも原料と技術にこだわった製造を続けています。

創業者の信念
– 農作物の加工品は原料より良いものはできない
– だから、良い原料を使用しなくてはならない
– ただし、良い原料からまずい加工品もできる
– だから、加工技術はしっかり身につけなければならない
– いくら加工技術を身につけても悪い原料から良いものはできない

ここから岩塚製菓では、原料である「米」と加工の「技」、そして誠意をお届けするための「心」を大切にする「米・技・心」の精神に磨きをかけることになりました。

今に受け継がれる創業の精神

このような精神のもとで製造された米菓は評判を呼び、新潟県菓子品評会では農林大臣賞を受賞するなど高い評価をいただけるようになりました。
ヒット商品も飛び出すようになります。最初のヒットは1958年(昭和33年)に発売された「苑月焼」。さらに1966年(昭和41年)に発売を開始した「岩塚のお子様せんべい」は失敗から生まれた商品でありながら、「せんべいは硬いものである」という常識を打ち破り、お子様でも食べられる画期的なせんべいとして広く受け入れられるようになりました。原料や香料を使用せず、安心して食べさせられると評価された「岩塚のお子様せんべい」はその後ロングセラーとなります。

新潟中越地震と営業赤字の危機

地域と共に順調に歩みを進めていた岩塚製菓ですが、2004年には新潟中越地震により最大の経営危機を迎えました。震源地に近かった工場は壊滅、復旧の取り組みの最中にも大きな余震に襲われ出荷が遅れてしまうという事がありました。
さらには価格競争の波に飲まれ、営業赤字に陥ります。安い輸入米に頼り価格競争に突入していくという選択肢もありましたが、代表取締役社長の槇春夫は「品質を落とすことはできない」と断言。別の方策で復活への道を探ることにしました。

チャレンジしたのは若年層へ向けた米菓づくりです。女子学生とコラボレーションをして新商品を開発したことは、米菓業界初の試みで赤字脱却への足がかりとなりました。

また大手米菓メーカーとしては初となる、すべての商品に国産米を100%使用することにも挑戦。県内の契約農家をはじめ選びぬいた米だけを使用し、鮮度が高く米の風味が豊かな原料を使った製品づくりに乗り出したのです。
岩塚製菓がこのような選択肢を選んだことの根底には、創業者の信念がありました。
その後美味しさが評価されはじめ、4年にわたる赤字からは無事に脱却することができました。

これからもお客様のために、地域のために

創業から70年以上を迎え、岩塚製菓はたくさんのお客様にご愛顧いただき、長岡市内に4棟、北海道に1棟の工場を建設するまでになりました。そこでは1,000人以上の社員が働き、地域に根ざした経営を展開しています。
創業者の「出稼ぎに行かなくて暮らしていけるようにしたい」という思いは無事に実を結んだのです。

また岩塚製菓は自らが被災者となった経験から、全国の被災地支援を続けています。東日本大震災後にはすぐに被災地との交流をはじめ、被災経験のある社員の言葉をヒントに、米粉スナック「ふわっと」などを提供できるキッチンカー「揚げたてちゃん号」でできたてせんべいを配布。被災地の子どもたちを継続して教育支援をできるよう「明日へつなごうプロジェクト」を立ち上げました。プロジェクトの一環として、福島県南相馬市の子どもたちとは新商品「バタしょっと」を開発。毎年開発メンバーの子どもたちの写真をパッケージに印刷してお客様とともに成長を見守り、売上の一部は義援金として寄付しました。
熊本地震の後は、熊本産の米を使うことで支援を行っています。

新たな地域へ、世界へ

岩塚製菓のものづくりの姿勢は、お客様以外からも高く評価されています。
新潟県にある田辺菓子舗は、銘品のかりんとうを作り続けてきた老舗。しかし跡継ぎがいないことから、信頼のおける岩塚製菓に経営を委託したいと申し出、岩塚製菓の仲間となりました。

1981年には台湾の食品メーカーで働く社員からは「岩塚製菓の味が忘れられない。祖国に広めたい」という熱い思いが届き、技術提携をすることになりました。そのメーカーはやがて旺旺グループとして中国へ進出。現在は年商3400億円をあげる大企業となりました。技術提供は現在でも続いており、岩塚製菓はこの提携を足がかりに世界へと目を向けています。

ライスクラッカーではなくBEIKAとして世界へ

米菓がBEIKAとしていつか世界で笑顔を作り出すものとなるように、これからも岩塚製菓は「米・技・心」の精神で、地域とともに、世界中を笑顔にするために活動を続けてまいります。